GOSPEL MOM BLOG

めりー@PRISMが見た、聞いた、感じた ゴスペルなできごとや 日常の中にある恵みなどをつれづれに・・・。
<< November 2008 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

光はキリスト

昨年のクリスマスのころ、賛美を作った。

「光はキリスト」
この世の闇を照らす光が 神の愛によって灯された日
富もない名誉もないただ主の栄光あらわすために
その光は輝いてる とこしえまでも・・・・・(後略)

アドベント(待降節)第2主日の礼拝メッセージ(ジョン・ビッグス牧師)は
まさに「クリスマスの光」がテーマだった。
(イザヤ8〜9章から)

預言者イザヤが書いた「イザヤ書」は、旧約聖書の中でも好きだという人が多い。
彼の時代は、アッシリアがイスラエルを支配していた時代で、
イスラエルの人々は、抑圧の中で自由を失い、
まさに闇のような暗い人生を生きていたといえる。
しかし、イザヤは、その700年もあとに生まれる「光」を予言していたのだからすごい。
そう、その光こそキリスト、イエスである。


現在の私たちは、そのような他国の支配の中を生きているのではない。
(世界中にはそういう国がたくさんあるが・・・)
平和ボケと言われる日本での「闇」は、むしろ個人個人の心の闇ではないだろうか。

自分をがんじがらめにする「悲しみ」「傷」「手放せない怒り」「罪による罪悪感」・・・
そのような闇の中を歩む私たちの中に、「光」がさす。
それを約束されたら、どれほど喜びがあるだろうか?
自分をがんじがらめにする抑圧からの自由。
それが約束されていることを、イザヤ書から受け取ることができる。


さらに、私たちは
神との和解によって、神と自分の間に平和があることを確信すると
心の内側に平和がやってくる。
イザヤ書にはイエスは「平和の君」と書かれている。
そして私たちは、内側の平和によって、
さらに「平和を作り出すもの」に変えられていく。
キリストの平和はこうやって世界に広がっていくのだろう。


イザヤ書にはさらに「ダビデの王座についてその王国を治め」と書かれている。
イエス様が、この世を治めるかたであることが、生まれる700年前に予言されていることのすごさ!!!
そして、その約束が、今も生き続けることのすごさ!!!

「私」という個人レベルで、「私を治めるかた」であることはほんとによくわかる。
愛すること、赦すこと、自分を変えること・・・・
それらすべて自分の力ではできないことを、私は重々感じさせられてきた。
イエス様はかならずよいものをくださるから、100%の信頼でついていくことができるかたであることも、よくわかる。

いつかイエス様がもう一度来られるときには
この統治が、全世界規模で、大きなスケールで成就していくのだと聖書は約束する。

このことを実際に自分の目で見ることができるかどうかはわからない。
でも、必ずそうなるってわかる。
だって、「私」という小さい規模では、そのような自由、平和、統治の約束がすでにあらわされているからである。


クリスマスは、いろんなイベントがある。
お祭りさわぎもある。
商店街の福引もある。(めりーは米とビールを当てました!!!)
カップルのロマンチックな季節でもある。
家族の大事なイベントでもある。

だけど、イエス様がこの世に来られたことの意味を
じっとかみ締める季節でもあるんだよ。

闇の中を歩んでいた民が大きな輝く光を見た・・・・

光は、自由と平和をもたらし、私をそして世界を治めるという約束のしるし。


光はキリスト。
礼拝メッセージを味わい、かみしめながら、自分自身が負っているくびきをはずし、
イエス様のくびきを負うものに変えられたいと強く思った。




礼拝 | permalink | - | -

おひさしぶりでございます。

長らく留守にしておりました。

しばしば訪れてくださっていた方も、
あまりに更新のないブログにあきれて去っていかれたのではないかと思います。

パソコンを変えて、PRISMのHP更新のためのファイルがいまだにうまくつながっていません。
あるいは、ブログそのものの運営方針も考えているところです。

ブログは、日記に対してなにかコメントをいただきたいと思って書くのですが、
それに丁寧にレスポンスしていけるかどうか、ということも考えます。
ネット伝道ということも考えていました。
でも、ネットで発信できるものは限りがあり、
それに対してのアフタケアをやっていくのが今の自分のすべきことなのかも考えなければならないポイントです。

そもそもインターネット上に現れる姿というのは、100%の自分ではありません。
あるいはコメントを書いてくださる方も、100%のその方ではありません。
「どこかに隠れたものをもって、交信を楽しむ」という暗黙の了解がないと、誤解や怒りの原因になります。


さて
SNS(ソーシャルネットワークシステム)というスタイルが広がっています。
私も最大手のミクシイに加入しています。
SNSのよさは、自分が交流する人を選べるというところです。

そこでの私の日記はプライベートなものから聖書のメッセージまで幅広いのですが
限定された範囲内で好きなことを書いているという気楽さがあります。
自分を100%までいかなくても、かなり素顔のように表せるかもしれません。

もちろん、SNSの使いかたも人それぞれで、
ネットワークからネットワークへと広げていって際限なく仲間?を増やしているかたもおられます。
だから、ガードをしっかりしておかないと、ネットワークビジネスなどに悪用されるという欠点もあるでしょう。



いずれにしても
私は、このブログがどのように用いられるべきかもう少し祈ります。


コンサートレポート、福音を伝えること、分かちたい情報・・・・。
それらを「発信」することで十分なんじゃないかな?
コメントがほしいって言うのは、私のお楽しみの部分でしたが、
だけど、読んでもらえたら十分なんじゃないかな?そう思えているのです。


ミクシイなどは携帯から読んでいる人が圧倒的に多く、私自身もその一人です。
いまやミクシイは、書き込んだりするのではなく「読みもの」として1日に何度もアクセスされているようです。
ネットの利用、携帯電話の利用は、時代とともにその方法が変わってきますね。

実は、このブログも携帯から読むことができます。
もしよかったら、携帯にこのブログアドレスを登録して、ときどき覗いてやってください。
http://blog.gospel-mom.net


コメント欄は閉鎖しています。
メッセージのある方は、めりーのプロフィールに書かれているメールアドレスから直接メールをいただければありがたいです。
あるいは、ミクシイに加入しておられるかたはミクシイからお願いします。


インターネットという便利で、そして危険な道具を
神様の栄光のために使うことができるように祈りたいと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします。





めりーが思ったこと | permalink | - | -

「最高のサービス」 メッセージ by ジョン・ビッグス牧師

久しぶりの礼拝メッセージ記録。
実はたまっているので、少しずつUPしていこうと思っている。
タイミングずれちゃったけど、できる範囲だけでも記録しておこうと思う。

今回は、本日の礼拝分。


サムエル記(上)15章1節〜16章13節
                通訳は恵子夫人

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

英会話を教えている生徒の中には、
指導に対して従順で、丁寧に、完全な形で答えようとする子どもと
叱られない最低限度の力を注げばいいと思っている子どもがいる。
可能性があっても、従おうとする動機がなければあまり上達しない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サウルは力のある人物だった。
しかし、彼には足りないものがあった。
それは、神に100%従おうとする思いであった。
サウルは自分自身の思いを常に優先させていた。

その結果、彼は、王としての冠を取り上げられる結果になる・・・。

サウルへの神の命令は、アマレクのすべてのものを聖絶することだった。
しかし、彼は勝利の記念にアガグ王を生け捕りにし、
さらに有益と思われる牛や羊などを惜しんで、残した。
サウルのとった行動は、「神への部分的従順」である。

私たちが、神様にある人のことを赦すように示されたとする。
しかし、怒りを100%手放せず、
「絶対に赦さない!でもせめて外であの人の悪口を言うのだけはやめよう。」
などと自分で決めた方法をとるなら
それはサウルと同じ「部分的従順」になる。

主の命令を知りながら従わないこと。
この生き方は、神からの祝福を受け取ることができない。

あなたは、最小限で主に仕えていますか?
それとも心から仕えていますか?
主に仕えるのには「近道」はない。
主に仕えるには、「中間(グレイ)」はない。
白か黒か。仕えるか、仕えないか、である。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

神は怒りではなく、その思いは
「悲しむ」「嘆く」「傷つく」と表現される。

なぜなら、不従順は、主ご自身を受け止めていないことを意味するから。
主がナンバー1でないなら、「主」と呼ぶのをやめよう。
「天国へのフリーパスはほしいけど、
自分の人生は自分が握っていたいんだ!」

と思うのは、僕(しもべ)としての人生じゃない。

主よ主よと叫ぶものが天国に入れるのではなく
みこころに従う者だけが天国に入れると、
新約聖書(マタイ)に書いてあるとおりである。

さらに、不従順には感謝の思いがないことを意味するから。
主に対して愛と献身がないということは、
主から与えられる恵みを当然と思っていることを意味する。

私たちは、神が自分に何をしてくださったかたなのか、
忘れてはならない。
そして私たちは、霊的な歩みに責任を持つ必要がある。


サウルは、神が自分をイスラエルの王とされたことを
重く受け止めず、
非を責められたときにはそれを民のせいにした。

このことは、私たちの周りでもよく聞かれる。
「私は主に仕える気持ちはあります。
でも、〜〜〜〜〜〜〜〜のせいで、それができないんです。」
「私は礼拝に行こうと思ってはいるんです。
でも、〜〜〜〜〜〜〜〜のせいで、行けない状況なんです。」

神様は、その言い訳を聞きたいと思ってはおられない。
責任を他に転嫁することばを聞きたいと思っておられない。
「あなたはどうしたいのか?あなたはどうするのか?」
それだけが大事なんじゃないだろうか。

「従順」は、
純粋でもっとも尊い主への捧げものだ。

しかも、外側の従順ではなく、心が吟味されなければならない。
たくさん献金をしたり、奉仕にがんばっている人は
ハタから見ると従順な人に見えるかもしれない。
でも、「内側の現実」のほうが大事なのだ。

心から喜んで主に従い、仕えているか?
それこそが最高のサービスである。
心から主に感謝しているか?
それこそが最高の贈り物である。


私たちは、羊飼いの名もない少年だったダビデがそうされたように
冠を受けるときがくるであろう。
「忠実な、よい僕(しもべ)だった」
と、神に賞賛される日が!!!



礼拝 | permalink | comments(3) | -

風のチュチュ・コンサート

第2回 風のチュチュ・コンサート。

「障がい者と共に手話ソングを広めるチャリティーコンサート」である。
主催される「みかひと」の三島さんも美洙さんもクリスチャン。
第2回目は教会を会場として開催されると言うことで、
ゴスペルコンサートもあわせてプログラムされ、
「生活に根付いたバリアフリーとゴスペル」をテーマに掲げてあった。
このコンサートに出演させていただけたことを心から感謝します。

会場(日本福音ルーテル西宮教会)


ロビーには物販コーナーも設置。

担当の春太郎さん


会場には、絵画教室の障がいを持ったかたが描かれた絵画が
何枚も展示されていて、会場を彩っていた。

絵は色合いも、線も、すごく美しくて力があって、すてきだった。。。。


主婦2人組であるPRISMは、
家のことをして子どもたちの食事の準備もしてから出かけるので
朝一には間に合うことができなかった。
しかし早朝から大勢のボランティアスタッフが会場に来て
機材セッティングに汗を流されていた。

照明(ミラーボールやスモークもあり!)の関さん

NEWコントローラーの初仕事だそうだ。

音響の藤田さん

とにかく走り続けるPAマン。(パーマンじゃないよ)

音楽担当の三島さんと会場担当の美洙さんにいたっては、
もう座る間もなしと言う感じでとにかくあちらこちらに心を配り、準備に奔走しておられた。


私たちは、打ち合わせの後は控えの和室で座って休む時間があり、
他の出演者と話したり、MCをまとめたりする時間があった。
ありがたいことだった。
リハの後も、ゆっくり昼食をとる時間があった。
ありがとう。


コンサートには、続々と人が集まってきていた。
第1回目は20人ほどだったというから、今回は飛躍的に増えたと言うことだ。

車椅子のかた、杖の方もたくさんこられていたし、
赤ちゃん連れ、若い方もお年よりも、まさにさまざまな層の方がこられていた。

この中で、イエス様のことを知っている人はおそらく半分に満たないかも?

障がい者とGOSPELって、ミスマッチ?
いえいえ、そうではありません。
イエス様は、社会的に弱いとされる人々に特に目を留められていた。
この世のすべての人に福音を受ける機会があるべきなのだ。
こういう機会はほんとうにありそうでなかなかない。
福音を分かち、種をまく。
音楽が、その種を運んでくれる役割を果たす。


司会は井上久美さん。

すてきな声で、コンサートを流れるように進行させて下さっていた。
ご自身が、LDの子どもさんを持つお母さんで、
とても明るく美しい笑顔のかただ。

牧師先生の挨拶の後、テーマソング「笑顔」の演奏があった。
手話にのせて
「君の書いた歌詞に曲をつけて 世界の人に聞いてもらうから
ギリギリの中での前向きな姿 想い伝えるため・・・・」
と歌う。


ギリギリの中での前向きな姿・・・・。
このことばに、ことばを越えた重みを感じたのだった。


みかひと&かっちゃん

手話はいいな。
手話は気持ちを手振りであらわすものだから、
「振り付け」としてではなく「ことば」として心が伴って体が動く。
私たちは賛美する時に手を挙げたりするけど、
それも振り付けではなく、心と連動しているものでありたい。

三島さんのパワフルな澄んだ歌声も、すっごく心惹かれたわ〜。
かっちゃんのギターもかっこよかったよ〜!

せいめいさん

網膜色素変性症で視力障害となられたシャミセニスト。
(三味線奏者のこと、めりーが勝手につけたけど、シャミセニストって変・・・?)

「せっかく見えなくなったんだから、残った感覚を研ぐ」
という前向きな生き方に拍手。
津軽三味線のなかに、アメイジンググレイスが盛り込まれていたり、
味のある編曲ですてきな演奏だった。
教会で三味線聞くことってなかなかないよね。

田中正洋さん
写真はないんだけど・・・。
進行性筋ジストロフィーで、車椅子生活なんだけど
自立を目指して一人暮らしをされている。なんてチャレンジャー!
童話の創作活動を意欲的にされているかたである。



休憩の後
市原牧師のお話があって、
「バリアフリーと言うことばがなくなる日がくるといい」ということばが印象に残った。

ここからゴスペルコンサートに入る。

YOSHIMI&YOSHIYA

みことばを淡々と語り、そして澄んだ歌声で賛美していくYOSHIMIちゃん。
若い感性で、神様の愛を受けとって音楽にしてる。
さ・わ・や・か♪
ミニアコーディオンも実に効果的でGOODだったよ〜ん。
YOSHIYA君との息もぴったり。
すてきなデュオだね。

PRISM
 

  


イエス様、あなたがたったひとつの道だから・・・・・

あしあと
あなたはなにもおそれなくていい わたしがともにいるから

神様の真実だけを
あなたの苦しみはなにかのバチじゃなくて 神様の御業があらわれるためだよ

君は愛されるために生まれた
永遠の神の愛は我らの出会いの中で実を結ぶ 
君の存在がわたしにとって どれほどおおきな喜びでしょう


主の十字架
見よ古きは過ぎ去り新しく生まれ変わる 主イエスキリストにより生かされ僕は歩く

そしてエンディングはみんなでテーマソングを歌ってフィナーレとなった。
 


終ったあと、物販コーナーはこの賑わい。


後片付けまですべて汗だくでたくさんの人たちが動き
めりーはこういうとき役立たずでごめんなさいなんだけど
自分のできることに全力を尽くせたから良かったと思っている。

とにかくすてきな、楽しいコンサートだった。
個人的に交わりを持ったりゆっくりおしゃべりしたりという形じゃないけど
歌を通して、語りを通しての不特定多数のかたがたとの「出会い」の形。
こういう出会いもステキな出会いのひとつだなあって思えた。


写真に撮りきれなかったスタッフのみなさん、ごめんなさい。
手話通訳だけでもすごくたくさんのかたが奉仕されていて、
また、看護師のかたが救護のボランティアにあたられ、
チラシの折込であるとか、写真やビデオの撮影であるとか
さまざまなところで実にたくさんの「手」の支えを感じた。
ほんとうに万全の準備をして開催されたコンサートであったのだ。

そして当日こられない多くの方々の祈りにも支えられた。
ライトハウスでは、コンサートの前の週の礼拝で
みんなで祈ってPRISMを送り出してくれたし、
メールなどでもたくさんの励ましをいただいた。

そして最後になったけど、いつも理解して私たちを送り出してくれる
愛する家族に心から感謝します。
行きはめりー夫が送ってくれて、
帰りはtane夫が迎えに来てくれた。
当たり前だと思ったらアカンよね。ほんとうにありがとう。

すべての気持ちを感謝の祈りに変えて捧げたいと思う。
神様ありがとう。
PRISM | permalink | comments(3) | -

ギリギリ告知

第2回「風のチュチュコンサート」

あす7月7日(土)に兵庫県西宮市にて開催されます。
7年7月7日という、縁起の良い日(?)です。

障がい者といっしょに作った曲や、手話ソングを伝えるチャリティ・コンサートですが、
生活に根ざしたゴスペルを通して、障がいをもった方にもともに福音を分かち合いたい。
そんなテーマも含まれているコンサートです。

出演は、
手話ソングライブをするみかひと
新進気鋭のゴスペルシンガー、YOSHIMI(ギター:石丸義也)、
堺の主婦デュオPRISM(アタシらだよ〜〜〜ん!)
網膜色素変性症をお持ちの津軽三味線奏者のせいめいさん、
難病の童話作家 田中正洋さん。


・日時  2007年7月7日(土)
     開場14:00〜 開演14:30〜 (17:00終演予定)

・司会 井上久美
・PA 藤田和也
・照明 関 恵嗣
・手話通訳、救護あり
・CD、書籍販売あり(担当:市橋春太郎) 

・入場料  無料 (カンパ制)

・会場   日本福音ルーテル西宮教会【150名入場可】
〒662−0976 兵庫県西宮市宮西町4−19
電話(0798)23−5611
     FAX(0798)23−1735
★駐車場なし

・交通機関 
 阪神電車 香櫨園駅下車 夙川東土手北へ30m徒歩1分
 JRさくら夙川駅下車 夙川東土手南へ500m徒歩5分
 阪急電車 夙川駅下車 夙川東土手南へ700m徒歩7分
 
・主催
 兵庫県立神戸生活創造センター登録ボランティア・グループ
 風のチュチュ・コンサート実行委員会「みかひと」

・後援
 ルーテルコンサート

絶対楽しいと思う。
そしてすばらしい出会いがあると思う。
どうぞいらしてください。

PRISMは、
「道」
「あしあと」
「神様の真実だけを」
「君は愛されるために生まれた」
「主の十字架」
の5曲を歌います。
定番ソングばかりですがおそらく初めて聞いてくださる方ばかりだと思います。

西宮は初めて行きます。

楽しみです。

来られたらぜひ声を掛けてくださいね。
PRISM | permalink | comments(2) | -

永遠の命へ(前夜式に参列して)

昨夜、T君の前夜式だった。

今日は正午から告別式だったが
めりーは委員会(高校の。自分が進行役なので休めず)で
列席することができなかった。

T君はライトハウスでは古くからの友であった。
めりーは直接会ったことがない。
彼のプロフィールも知らなかった。
それでもお父さんであるHさんを通して祈りの中にあり
細いけれどもつながりのある関係だった。

John牧師が語ったものからほんの一部を写すと
「T君はいつも家族の中心であり、家族の愛の中にあった。
T君は障害を持って生まれ、
4歳くらいまでという医師の予想を遙かに上回って
22年の人生をいただき、
その期間をせいいっぱいに、強く、明るく生きた。
T君は家族の話をきき気持ちを受け止める役割を担い、
自分の不平不満は決して表さなかった。」

ほがらかな笑顔の写真はそんなT君を物語っていた。

「よく笑い、よく食べる。
まぐろの刺身が大好きだった。
言葉が話せないが賢い青年だった。
しかしお風呂はきらいだった」

亡くなって初めてT君がすごく身近になった。

こういうことって、あるよね。

生きてるときに会いにいけばよかったと思うかもしれないけど
そうじゃない出会いもあるような気がした。

この世での命を終えた時に出会いがあるって
不思議だけど、確かにある。


だけどこれからT君がほんとうに出会うのは神様だよね。



私たちのこの世での命は神様がくださった。
でも必ず終わるときがくる。
私たちの魂は、ここから、「永遠」に運ばれていく。
本当の命を生きるのは、まさにここから。
主のみ手のなかで全き平安を生きる。

John牧師のメッセージは続く。

「もしもT君がここに立っていたら
みなさんにこう語るのではないでしょうか?
『あなたは、その日の準備ができてる?』
と。」


もちろん、今を生きることが無意味なんじゃない。
今の命を精一杯生きることを神様はのぞんでおられる。
その中でイエス様という「道」に出会い、天国の切符を手に入れるようにと
神様は望んでおられる。


死というのは悲しい。
この世ではもう会えなくなると思うだけで
たまらない気持ちになる。

だけど
たぶん私の見ている範囲って、ものすごく狭いんやろな。

T君は天国行きの切符を持って、すごく広いところに行った。

みんなで、天への凱旋を心をこめて見送る。
だからキリスト教式のお葬式は希望に満ち、うるわしい。


でもね(;_;)
悲しいよね(;_;)
寂しいよね(;_;)


ご家族の上に主の慰めがありますように。

心から祈ります。
めりーが思ったこと | permalink | comments(1) | -

聖書

聖書を買った。「新改訳」である。
中型で、字が見やすい。
4400円だった。

高いなあと思ったけど、財産だからいいやと思った。

ずっと愛用しているのは「口語訳」である。
小型であるせいか、字が小さい上に、
口語訳は日本語が古く、また、見出しなどもないために
かなりびっしり詰まって読みにくい感がある。

だけど、めりーは口語訳ファン。
もっと言うなら「文語訳」も好き。
讃美歌の歌詞は文語で書かれている。
あの味わいはもうなんとも言えまへン。

もうひとつ、「新共同訳」と英語の対訳判聖書も持っている。
新共同訳は、見出しがついているので便利なのと、
英語ではどんな表現なの?と思う時、すぐに調べることができる。

表現が微妙に違う時
神様の伝えたかったのはなんだろう?って
聖書を比較読みしてみるのもいいものだ。
ライトハウス教会はみんなバラバラな聖書を使っているから
学びなどの時には自然に「そこなんて書いてある?」
なんて話したりするんだよね。

聖書。The Bible。
The book of books
本の中の本。
永遠のベストセラー。

あなたも聖書を読んでみませんか。 
めりーの日々 | permalink | comments(6) | -

そば打ち体験

M中学校PTA文化委員会企画
「そば打ち体験」 

リーダーは、M小学校を最後に定年退職された元校長先生。
講師の先生方は、皆さん定年退職されてこの道に入られた方ばかりとか。
ほとんどボランティアで学校や施設などをまわっておられるのだそうな。
昨年は、6年生だった次男が、小学校でこのそば打ちを体験している。


実は開始時間の前から先生たちは調理室に来て
今日食べるそばを打って準備してくださっていた。




水を打ちながら、耳たぶのちょっと硬い感じくらいまでこねていく。
ぽそぽそだった粉がだんだんツヤッとしてくる。
いい香りだ。


薄く延ばすのが見ていても気持ちいい。
いつのまにかきれいに四角に延ばされている。


切るのも簡単そうにやっておられるけど
私たちにできるかな〜・・・?


小さい箒のようなので、さっさっと残りの粉を後始末。

さて、あらためて先生方を紹介してから(今回は6名の講師の方が来られた。)


参加者全員が自分のそばを打ち(ほぼ5〜6人前)
それはお土産としてもって帰ることになっている。





これはめりーが打ったそばだよ〜〜〜ん。

薄く延ばしすぎてピロピロになった部分もあったが、
おおむねうまくいった(つもり)


その間にも先生は・・・

これはそばを素揚げにしているところ。

塩を振って、ポリポリッとした歯ごたえと、そばの香りを楽しむ。
ビールにあうんですけどぉ〜〜〜!


そば粉は北海道の生産者から直接空輸してもらったこだわり品。
今回は二八そばである。
また、薬味に使う野菜などは、先生が自宅で無農薬で作られたもの。
そばも育てられてて、薬味には「そばプラウド」(そばの若い葉)もある。
つゆも、昆布と3種類の削り節を使うこだわりよう。

というわけで

歯ごたえがシコシコ・・・そばつゆもおいしい。
写真には写ってないが、そば湯がまた超おいしいの。
そばを茹でた時、ルチン(血液サラサラになる)はそば湯にいっぱい溶け出す。
だから、そば湯を飲むことは理にかなっているのだ。
しかも、中華麺は油が、うどんには大量の塩分が含まれているが
そばにはいっさいそういうものが入っていない。
そば湯はまさしく健康的な飲み物ナンだ。
(理屈はどうあれ、おいしいんだもん)


これは山かけ。
これもめっちゃおいしかった。
そして、この山かけの残ったつゆにそば湯を入れるとね、
山いものとろとろと、そば湯のとろとろが混じって
おもゆみたいになるの。
これってめっちゃおいしい病人食、あるいはダイエットフードちゃうん!


おいしいおいしいでめでたく終わり、
後片付けに入るのであった。


文化委員の役得で、余ったそばつゆや薬味野菜などをいただいて
るんるんで帰ったのであった。

講師の先生方、ほんとうにありがとうございました!



で、
もちろん晩御飯は「お母さんが打ったおそば」

夫が一番喜んでいたな。


これはいただいたそばの花。
きれいだな・・・。
めりーの日々 | permalink | comments(6) | -

天王寺公園、ぶらり散歩

今日は家で静かに過ごそうと思っていたんだけど
家の前が工事ですごい騒音。
天気もいいし、公園でも行こうかなと
聖書を持って家を出た。

バラ公園・・・と思ったが
知っている人に遭わないところがいいから×。
大泉緑地・・・と思ったが
あまりに広くてしんどいなあ。
トイレも数少ないしなあ・・・・だから×。

まあ、とりあえず電車に乗って行こう。

・・・・で、乗った電車は終点が天王寺。
目の前に「天王寺公園」がある。
街のど真ん中。
自然の中というよりも、明らかに人工的なパークである。
まあいいか、行ってみよう。

公園はなんと有料である。150円。
公園内で居住するホームレスピーポーを締め出し、
管理されたきれいな公園を維持する為の有料化と思う。

実際、中はほんとにきれい・・・。






自分だけのペースで、ゆっくりゆっくり歩く。
太陽を浴びながら、きれいな花を愛でながら、体も心もリフレッシュ。
誰ともしゃべらない。目に入るものを楽しむだけ。


だけど、こんな風に一人の時間を過ごしていても
「写真とってくれませんか?」と頼まれたり
韓国人の人になぜか英語で道をきかれたり
この世で誰とも関わらずに生きるってできないもんだなと思う。
(別に人とかかわりたくなくて逃げてきたわけじゃないけど)


さて、どこで聖書を読もうかな。
日陰のベンチを探す。

でも、昼近くなっておなか減っちゃったな・・・。
食欲に勝てない弱い私。胃を制することができないのね〜〜〜!
売店でカップラーメンを購入して、リーズナブルな昼食。

暑いのに熱いラーメンで、汗が出た。


食べた後、ふと目に付いた植物園温室に入ってみた。
植物はたいしたことなかったんだけど
この表示に笑う。

ここで寝そべる人おるんか〜?
やっぱり、こういうところを居住空間にする人が多いってことだよね。


歩いていくと向こうに通天閣が見える。

ああ、行きたいなあ。
若者の町ミナミやキタはもういいわ。
新世界、通天閣、こっちのほうが行きたいわ。
・・・・でも、今日の目的は違うねん・・・・。

ほらほら、銅像のくまちゃんも祈ってるみたい。




さて
手ごろなベンチに座って聖書を開く。
そしてイエス様の十字架の場面を思い巡らす・・・。

(ー。ー;)しかし・・・・

暑い・・・・・。
頭がじりじりして、聖書がまぶしく、黒いジーンズの足が熱い。


ううう〜・・・。アジイ・・・。少し歩こう・・・。


慶沢園に向かう。


ここはなんともすばらしい庭園である。



こんな広いスペース、こんなすばらしい庭園を
天王寺の駅前に維持し続けていることは奇跡に近いのではあるまいか?

もう街の中にいることを忘れて散策を楽しんだ。


ここは明治時代に作られた庭園。
すべてが人の手により作られた。
この滝でさえ人工のもの。



不思議な気がした。


神様、私たち人間の「美」の感覚もあなたがくださったものです。
私たちが神の似姿に創られているように
私たちが描き出す「美」が天のみくにを象徴するものでありますように。

日本庭園における美は
バランスといい、見た目といい、侘び寂の心といい、
自然を尊いものとして大切にする思いといい、
日本人であるがゆえに表現できる美しさだと思います。
この世の、手をかけられていない小さな草花に比べて
なんと大胆にまとめられ、なんと大胆に芸術化されていることでしょう。
でも、そこに生きている木々や魚は明らかに主の被造物なのですね。
日本人が、日本人としての心に触れられ、安らぎを感じる空間を
あなたがくださっていることを感謝します。

こんな祈りをしながら歩く。

木漏れ日を受けながら、
あるいは途中の涼しいあずまやで休憩しながら、
主の恵みに感謝するめりーだった。

黙って一人で歩いている私はほんとうに心がしずまって平安だった。

小砂利を踏むヂャッヂャッという音も、気持ちよかった。

2時くらいには帰宅の途に就いたが
とってもいい時間を過ごすことができた。
めりーの日々 | permalink | comments(4) | -

さんびとメッセージのつどい (於 大阪中央福音教会)

アッセンブリーゴッド教団大阪中央福音教会での
「さんびとメッセージの集い」に呼んでいただいた。

出かけるときには雨が降っていた。
祝福の雨だ・・・・

いつもコンサートの時に体調や状況が万全とは限らない。
だけど神様は必ず力を与えてくださる方だから
信じてでかけていくことができる。
めりーの「モビスパ君」でGO!

教会の入り口には牧師夫人手作りのこんなすてきな掲示が!
PRISMの光を意識して作ってくださったとのコト。

ステキ〜〜〜〜♪♪♪

会堂に入って早速準備を始める。
PRISMがこちらの教会で歌うのはもちろん初めてだし
PAをしてくださる方ともこの朝初めてお会いする。
機材も建物の音の響きも毎回ぜんぜん違うのを味わう。
なんだか不思議で新鮮。わくわくどきどき・・・・。

教会のかたがたの温かい笑顔に迎えられ
控え室まで用意していただいて、恐縮の極み・・・・


「ランチョン」というだけあって、
ランチのためにテーブル席になっている。
60人あまりのかたほとんどが、ベテラン主婦という感じのみなさん。
手話通訳もあって、聴覚障害のかたも多く来られていた。
この教会では手話教室が開催されているとのことで、
なるほど〜と思った。
PRISMの賛美を手話でかなり練習してくださったとのことで、
とってもうれしかった!

コンサート始めは雰囲気が硬くて
1曲目(プリズム)終ってもシ〜ン・・・としていた。
2曲目(マイムマイム)のあたりも、ちょっと硬めで。
だけどだんだん気持ちが賛美と溶け合ってきて
会場と、歌ってる私たちの心の交流を感じた。
笑顔と、MCにうなずくみなさんの表情がやわらかかった。

その温かさに甘えたわけではないが
慣れてる曲の前奏(キーボード)で、
なんでこんな間違い方する?というような不可思議なチョンボを
なんと2度にわたって犯してしまい、冷や汗たら〜・・・・
ほんとにごめんなさい!

たのしく9曲を歌った後は、牧師先生のショートメッセージ。
短いメッセージだったにもかかわらず、
力強く、心に届くメッセージだった。
今のそのままの姿でイエス様のところにいく。
あるがままの姿で信仰によってイエス様のもとに行く時
神様のみわざがその人にあわらわる。

そしてランチタイム〜♪
スタッフの皆さんが試食を重ねて決められたという和風お弁当。
見た目にも美しく、高齢者の方に配慮された内容で、しかもおなかいっぱい。
手作りのお菓子もおいしゅうございました!
(おみやげにもいただいちゃった〜♪)
おしゃべりにも花が咲いて、たのしいひと時を過ごした。


食事の後に「プレゼントタイム」というのがあって
教会の手作りサークルの皆さんの作品だそうだ。
PRISMにもいただいたのだが、
癒しグッズ「くたくたカエル」とかわいい「花のカード」だった。

ありがとう〜♪


さて、アンコールタイムとなった。
うれしいことに「道」をリクエストしていただき、まずは「道」を。
そして、予定されていた曲「台所の祈り」を歌った。
アンコールの時が、会場が一番リラックスしてたかもしれないね。

みんなで「君愛」を、一部手話も入れて賛美して、和やかに会は閉じられた。

来場された方で求道者のかたが20人くらいはおられたと
あとで伺って驚いたのだが
その方々の心の中に、今日の賛美やメッセージ、交わりをとおして
種がまかれ、ゆたかな実を結びますように。
クリスチャンである方々の中にも、この集いを通じて
癒しと励まし、和らぎと希望が与えられますように。
そして教会がさらに豊かに用いられ、ますます祝福されますように。
今日、心を尽くして迎えてくださったみなさん、
準備や後片付けのために時間と労を捧げてくださったみなさんに
ゆたかな報いがありますように。

帰りしなに、奥田牧師先生ご夫妻と記念撮影をした。

とってもとってもすてきな牧師先生ご夫妻〜♪
温かさと明るさ、細やかさと頼もしさがお二人からかもし出されていました。
しかも世代が近いということもあって、親近感バリバリだったわ〜。

帰りの車の中では「良かったネ〜」という話で盛り上がり
到着して、車の中で感謝の祈りを捧げてから
taneちゃんと別れたのでありました。


今回もすてきな時間、新しい出会いをありがとう。
PRISM | permalink | comments(5) | -